2012年02月14日
生きんとする意思

学生時代の第二外国語はドイツ語でした。
その授業の中でショーペンハウアーの「意志と表象の世界」の一部を学ぶ機会に恵まれました。あくまでも語学を学ぶ題材として教授が選んだもので、哲学そのものを学んだわけではありません。人類を一本の木として例えれば個々の人間は一枚の葉だというものです。木を存続させるための葉には何の意味もないということなのです。

人間も世界もその本質は意志であり、見えない意思の力にすべての行動の理由を見出そうとする思想哲学です。意志とは生を継続し死から逃れようとする意志であり、動植物も世界もそして人間自身も実は意志そのものであり、ここに苦悩や不安が生まれる原因がある、というようなものでした。

生命の営みを考えるとき、この哲学は的を得ていると考えました。
種の保存のために生殖がある。個々の命はその具現に過ぎないのだと。
でも、それ以上の思想については深く考えてはいません。苦悩から開放されるにはその生きんとする意思からの開放が必要なのだとか…。

種としての意思が種の存続にあるとすれば、しんぷるは既に役目を終えています。二人の子を育てもうすぐ孫も生まれようとしている。一枚の葉っぱとしては十分な生を送ったのではないでしょうか。潔く生きていきましょう。

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