大山
おおやま
1,252

丹沢
神奈川県
登 山 日 2023年02月04日(晴れ)
メンバー しんぷるライフ
行  程 大山第一駐車場9:05…9:35大山ケーブル駅…9:55大山寺10:00…10:25阿夫利神社下社10:35…11:32富士見台…11:48ヤビツ峠分岐…11:55▲大山(阿夫利神社本社)12:35…不動尻…13:50阿夫利神社駅14:00===14:05大山ケーブル駅…14:35第一駐車場
yamap ルートマップ
大山は丹沢表尾根の東端に位置し登山者の多い山だ。山の存在は知ってはいたがあまり興味の湧かない山だった。秦野市に向けて高速道路を走るが富士山がはっきりわからないような日だ。丹沢随一の展望を誇る塔ノ岳に登る予定だったが日にちを前後して大山に登ることにした。短時間で上るにはヤビツ峠からの往復が考えられるが、大山寺や阿夫利神社など興味を誘う観光名所を巡ってみることにしよう。

駐車場にある案内図(クリックで拡大図)

車道を登っていく
第一駐車場(1日\600)に駐車できた。ケーブル駅に向かって坂を登っていくと小さな宿坊が立ち並び、講名が刻まれた石垣や先導師と記された看板が目につく。この辺りに泊まればよかったねと話しながら歩いていく。「先導師」って何だ?疑問に思ったので地元と思われる人に尋ねてみた。簡単に言えばガイドみたいなものだけど、それだけじゃなくて檀家のまとめ役みたいな者だねとのこと。尋ねた人も「先導師」だとか。
要領を得なかったのでネットで調べてみると、(以下引用)
 大山を訪れると「先導師◯◯◯」という看板をたびたび目にします。聞き慣れない先導師という言葉ですが、宿坊または宿坊の主人を指し、文字通り参詣者を大山阿夫利神社まで導く神職のこと。参詣の勧誘や宿の提供、寺社への道案内などを主な仕事とし、今でいうツアーコンダクターと言ったところでしょうか。大山詣が大流行した江戸時代には、160名以上が存在したという先導師は、当時「御師(おし)」と呼ばれ、そのルーツは大山の修験者(山伏)たちと言われています。現在も山麓には、独立した宗教法人として神殿を持つ40軒以上の宿坊が並び、参詣者は登拝前日に宿泊。翌朝、宿坊内の神殿で登拝前のお祓いを受けるのが慣習となっています。
 先導師(御師)に祈祷を頼む者を「檀家」、また、地域的・職業的集団の場合は「講」といい、師壇の関係になっていました。
参詣のときは、これを迎えて自分の家に宿泊させ、参拝祈祷の便宜を図り、檀家(講)はお礼として初穂を納めました。この宿坊機能が今に至って旅館としてのこり、「先導師旅館」と称しています。
(引用終了)
宿坊には豆腐料理の看板も多く見られる。(以下引用)
 大山では江戸時代から、とうふが親しまれ、講中の人々は旅の疲れを癒しながら、当時はまだ珍しい絹どうふの優しい味わいに舌鼓を打ちました。しかし、不思議なことに大山では土質の関係から大豆栽培が行われていません。では、何故とうふが作られるようになったのか?それは、先導師たちが配札や祈祷などを行った謝礼として大豆を受け取り、大山に多く集まったためと一説では言われています。加えて、製造と保存に適した丹沢山系から流れる良質な水、そして修験者や僧侶による精進料理の下地があったこともあり、「大山の名物=とうふ」という図式ができあがったのです。その伝統は今も受け継がれており、工夫を凝らしたオリジナルのとうふ料理やスイーツを、立ち並ぶ宿坊などで宿泊せずとも気軽に堪能できます。(引用終了)

ケーブル駅からは女坂を行く

急な階段を上ると大山寺
女坂も決して楽ではない。女坂の七不思議などを楽しみながら登っていくのだが階段がきつい。歩いている登山者や観光客も少ない。何となく寺らしきものが見えてようやく着いたなと思ったらこれまた急な階段が待っていた。いやはや疲れるなあ。

雨降山大山寺 真言宗大覚寺派

地上高約11m、青銅造りの宝篋印塔
石階段を転げ落ちないように登っていくと大山寺に着いた。孫たちの健やかな成長と子供たちの幸せを祈願して阿夫利神社へと急ぐ。
大山寺第三世として弘法大師が当山に入り、数々の霊所が開かれました。大師が錫杖を立てると泉が湧いて井戸となり、また自らの爪で一夜にして岩塊に地蔵尊を謹刻して鎮魂となすなど、現在は大山七不思議と称される霊地信仰を確立しました。(大山寺HPより)

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男坂と合流だ

大山阿夫利神社下社

ケーブルで上って来る登山者も多い
阿夫利神社下社まで来るとケーブルカーを降りた観光客や登山者が続々と歩いてくる。駐車場からここまで80分かかっている。空は青く天気はいいが春霞がかかっているように展望は利かない。静かな女坂歩きから一転して賑やかになってきた。

日本三大獅山 大山獅子

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下社脇から大山に向かう

道は険しい

歩き易くなってきた

富士見台に出たけど雲の中

稜線に出た

ヤビツ峠への分岐 もう直ぐ山頂
下社を過ぎると今までの参道から急に登山道らしくなる。岩がゴロゴロ、木の根が張り出しているところも多い。富士見台に出ても富士山は雲の中で展望は優れない。何でこんなことになったのか、またハズレとライフさんに冷やかされる。ヤビツ峠から歩いて来れば楽だったかもな。とは言え一期一会、歴史のある大山寺や阿夫利神社を訪れることができたのは嬉しいことだ。
 傾斜が緩んだ道を行くと阿夫利神社本社に着いた。山頂標識と一緒に記念の一枚を撮ってもらい休憩だ。三等三角点が置かれているがちょっと場所がさえない。展望はなく地味なランチとなってしまった。
 帰路は不動尻経由とした。見晴台があるようだが展望が全く期待できないので登山道をショートカットして下社まで戻った。急な坂を下って戻るのも膝が痛むだけなのでケーブルカーを利用することにした。ラクチンだな。下車してから土産屋が並ぶ「こま参道」をのんびり下って駐車所ジュに戻った。
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