御飯岳
おめしだけ
2160m
嬬恋村
毛無山の背後に御飯岳
登山日 2004年7月10日(曇り) しんぷる
行 程 毛無峠(7:45)…毛無山(8:00)…樹林帯入口(8:25)…前御飯岳(9:20)…御飯岳頂上(9:40-10:05)…毛無山(11:10)…毛無峠(11:20)
 御飯岳へは5月末に来ている。毛無峠へは冬期通行止めで行けず、県境からの残雪期コースも雪は既に無く早々と退散してしまった。気に掛かっていたのは背丈ほどもあるという笹の道だ。県境からの道ではいきなり背丈を超えるクマザサで、強風もあって気力が一気に萎えてしまった。毛無峠からは「山と高原地図」にも破線で登山道が記されている。この山は好天気が続いた後、昼頃からゆっくりと登る山だ。出来れば残雪期に県境から登るのがベストかもしれない。
破風山と毛無峠

毛無峠から望む毛無山
 毛無峠に着くと破風岳に近い側にマイクロバスが置かれていた。それ以外には登山者はいないようだ。天気は今ひとつだ。峠からはガスが邪魔をして遠望は利かないが、毛無山の小ピークが目の前に頭を持ち上げている。山の斜面は一部草がはげて裸地となっている。その裸地を横切って鉄塔の残骸が並んでいる。この鉄塔はかつて硫黄鉱山として栄えていた小串鉱山の名残のものらしい。最盛期には約2000人が住み学校や病院も備えた町があったというが30年前に廃鉱になったそうだ。登山靴を履いているとハトメが1カ所とれてしまった。う〜ん、嫌な予感が…。

毛無山頂上

ガンコウランとコケモモ
 特に登山道はないようだが、裸地に沿って登っていく。ガンコウランの群生があるが踏み荒らさないように気をつける。この毛無山は裸地が広がるのを防ぐためハイマツを育成する試みをしているようだ。数カ所にホシガラスから実を守るための防護ネットが張られている。そんな道の足下にはゴゼンタチバナが白い花を咲かせていた。のんびりと登っていけば直ぐに毛無山の頂上だ。ケルンが積まれただけの山頂は特に見るべきものはない。ここにも広範囲にわたって防護ネットが張られていた。

毛無山と御飯岳との鞍部

樹林帯に入る
 毛無山頂上から御飯岳方面を眺めると気持ちの良さそうな草地が鞍部を中心に広がっている。その中を踏跡が樹林帯まで続いているのが見える。そして草地の左手を林道が通っている。鞍部に向けて草地を降りていく。昨日の雨で草原はびっしょりだ。ようやくスパッツが役に立つ時が来たようだ。鞍部を過ぎ御飯岳への登りにはいると、いつの間にかカヤトは笹原に変わっていた。膝上ほどの笹は気になることもなく快適に足は進む。徐々に笹の背丈が高くなってくるが問題はない。シラビソの枯木に付けられた赤布が目印となる。

霞む笹原
 やがて道は樹林帯へと入っていく。主にシラビソやコメツガで形成された樹林帯だ。笹から解放されごく一般的な登山道の様相を示してきた。これは調子が良いぞと思ったが長くは続かない。再び笹の中へ突入だ。しかし赤布は切れることなく山頂へと導いてくれそうだ。樹林帯を過ぎるとシラビソの疎林帯だ。さてここからがいよいよ笹原が深くなってくる。既に腰から下はびっしょりである。中のパンツも完全に濡れている。当然スパッツも用をなさなくなっている。かろうじて肩から上が出るだけの笹原の道である。

背丈ほどの笹の海
 思わず引き返したくなる道である。このままでは全身ずぶ濡れとなってしまう。ザックからウインドブレーカーを取り出して身に付け、敢然と笹の海に飛び込んだ。しかし、こんな深い笹原も道が付いているのである。足下にはしっかりと刈った跡があるのである。かつては立派な登山道が存在していたことが偲ばれる。刈り跡を覆う笹を両手で左右にかき分けながら進む。急登を笹に掴まりながら上ると前御飯岳に着いた。

疎林の中の笹道
 鞍部の先に御飯岳の頂上らしきものが見える。一旦鞍部に降りて上りあげる。大きな岩を2カ所過ぎ、山頂が近づくにつれ薄日が差してきた。手袋や首に巻いた手ぬぐいを絞りながら進むと、三角点の廻りだけ刈り払いされた山頂に着いた。登山靴を脱いで中にたまった水をはき出し、靴下も絞った。ズボンを伝わって入り込んだものだろう。本当に笹海を泳いできたようなものだ。よくもまあ、めげずに歩いてきたものだ。しかもガスで展望はない(苦笑)。 
 山頂標識は二つ、その一つは青地に白字で「四阿山-三国峠 御飯山2160m GWV ’76」とある。約30年前だ。もう一つは平凡な山頂標識。ふと裏を見ると「KQA 99.5.8」と落書きがされていた。私も倣って地味に落書きをしておいた。薄日を指していた空も、いつの間にか曇ってきて遠くで雷鳴が聞こえてきた。急いで戻ろう。帰り道は来た道を忠実に戻ったが、一度通った道のせいか背丈ほどの笹もあまり苦にならなかった。
御飯岳頂上
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