父不見山
ててめえじやま
1048m
神流町
御荷鉾山方面から望む父不見山
登山日 2003年3月2日(晴れ) しんぷる
行 程 ロッジ天神(10:25)…山神様(10:30)…林道から枝道へ(11:00)…尾根(12:10)…長久保の頭(12:15)…父不見山頂上(12:30-12:45)…坂丸峠(13:30)…林道・案内板(14:00)…小平集落(14:20)…ロッジ天神(14:30)
 この山域には何度か足を運んでいるが、この父不見山は地味な山である。特に特徴のある山容をしているわけでもなく、取り立てて展望も良くはなさそうである。このところ下りの左膝に不安を抱え、気持ちが消極的になってしまっている。冬もそろそろ終わりの気配が見え、少しずつ長い距離を歩いてみなくてはなるまい。登山口が全く分からないまま、地元の人に道を尋ねたところ大変おもしろい出会いとなった。そして最初から登山道を外して歩くという初めての体験となった。 案内図

ロッジ天神
 小平で神流川を渡り適当に空き地を探し歩き出そうと思っていた。ミニバイクに乗った土地の人に「父不見山に登りたいのですが何処から行けばいいんでしょうか?」「父不見山かい、歩いて行くんかい?雪があるよ。この道(林道大平線)をずっと登って行けば看板があるから。」礼だけ述べて車を進めたが腑に落ちないものがあった。ガイドブックでは小平から登山道が記載されていたからだ。ところがしばらく行くと林道は積雪があり、雪タイヤを脱いでしまった車では先に進むことが出来ない。やむなく後戻りして地図を見直していた。
 ちょうどそこに先のミニバイクの人が通りかかり窓越しに話しかけてきた。「どうしたい。わかんないのかい?」「道に雪があって進めないのですよ。この辺に車を置いて歩いていきたいのですが、どこかありますかね。」「ここから歩くんかい。かなりあるよ。」「平気ですけど。もともとここから歩こうと思っていたので。」「上の方に家があったろう。そこが俺のうちだから、そこに置いていけばいい。」家と言っても、とても人が住んでいるとは思えぬ建物だったのだ。実際案内され、登り支度をしていると、お茶を一杯飲んでいけと言う。折角の好意なので甘えることにした。そこには「ロッジ天神、夢工房」と書かれていた。「親父さんはいったいここで何をやっているんですか?」中を見回すとおよそ20帖ほどの部屋に炉が切ってあり鍋が掛けられていた。反対側には不似合いなカラオケセットが置かれていた。期待していた返事とは裏腹に「いやあ、仲間とイノシシ食ったり酒飲んだりしてるのさ。夕べは12時まで飲んでいて2日酔いだい。」と言いながらペットボトルのウーロン茶を取り出してグラスに入れてくれた。やけに人懐こい親父さんで次から次へと話しかけてくる。話が尽きそうにないので、帰りに寄る旨を伝え歩き出すことにした。

山神様

道標

尾根に出る
 「右側に山神様がある。そこから入っていけば林道に出るから。」その言葉を信じて歩いた。祠から作業道に入り踏み跡を忠実に歩いていくと下から続いていた林道に出た。間もなく「父不見山」の道標が目についた。しかもそこから左に入っていく道があった。ここに違いない。一抹の不安を抱えながらもその枝道に入っていった。道は広く心配はなさそうだ。やがて道は先細りとなり積雪もかなりの量になってきた。人の踏み跡はなく動物の足跡を追って歩いていったが、とうとう道が途絶えてしまった。 さて弱った。確かにここに来るまで確かに道標の一つもなかった。赤布もなかった。ここまでのコース取りはほぼ父不見山に向かって歩いてきたはずである。戻るのも大変だ。ここまで1時間半。上を見上げれば100mほどで尾根に出そうだ。取りあえず登ることにした。ある程度締まった雪と積雪量。直登だ。とにかくキックステップで高度を稼ぐことに専念する。時に四つんばいになり、立木に捕まり、夢中で登っていく。息を切らしようやく尾根に出た。そこは登ってきた北側と違い明るい尾根だった。すぐに立派な道標が現れた。そしてテープも付けられておりようやく正規の登山道に出たことが確認出来た。やれやれ一安心である。そこから一登りで長久保の頭に立つことが出来た。ガイドブックより30分以上の時間短縮だった。出発が遅かったことを考えるとやけに得した気分になった。

長久保の頭

父不見山を望む
 長久保の頭からは父不見山の頂が見えた。南斜面の埼玉県側は植林が伐採され、切り株が残っているだけでその山肌はちょうど鳥肌の様に見えた。強風の中、立木が大きく揺れている。父不見山頂には一旦下降して上り返さねばならない。下り斜面は北向きになっているため積雪があった。アイゼンを付けるほどでもないので気を付けて下りていく。

山頂

山頂と「三角天」の石

坂丸峠
 上りは積雪がなくやや急な斜面を一上りで頂上に着く事が出来た。北側の御荷鉾山方面は雑木の立木に遮られ展望は良くない。南の埼玉県側の展望が開けているのみである。この山は埼玉の山だと思った。今日はカップラーメン用の水を持って来るのを忘れていた。上ってくる道すがら、幸いに北斜面に雪が残っていることから、これを溶かして使おうと思っていた。山頂は思っていたほど風もなくのんびり過ごせそうだ。昼食の支度に取り掛かると、もうひとつの重大な忘れ物を発見してしまった。なんと、ガスボンベが見当たらないのだ。仕方なくポカリとおにぎり1つの昼食となってしまった。こうなると手持ち無沙汰でゆっくりも出来なくなってしまった。 帰りは当然正規のルートで戻ることにした。先ずは長久保の頭まで。そして立派な道標と赤テープを頼りに順調に足は進む。尾根を外れ埼玉県側に下り、良く手入れのされた杉林の中を尾根を巻く様に進むと坂丸峠にでた。ようやく小平の文字を眼にすることが出来た。道標に対峙して松と杉に挟まれた格好で窮屈そうに「山の神」の石祠が顔を覗かせていた。あとは小平まで下るのみである。送電線監視路と重なった作業道を赤テープを頼りに歩を進める。すると舗装された林道に出た。そしてそこには父不見山の大きな案内板が立てられていた。実質的な登山口である。なるほど親父さんが言っていたのはこの事だったのか。この林道を右に進めば来た道に戻ることは容易に想像が出来た。開発が進む中、この辺りも様変わりしたと言うことか。下山道はこの林道を横切って更に続いていた。

小平集落
 沢を渡り畑の中に出るとそこが小平の集落だった。そして車で通った道を忠実に戻り、車を止めさせてもらったロッジ天神まで戻った。住所を訊いて地酒でも送ろうかなどと考えながら歩いてきたが、生憎留守であった。感謝と又来た時に立ち寄らせてもらうことだけ書置きしてその場を去った。主要道のあちらこちらに「祝 神流町誕生」ののぼりが立てられていた。この四月に中里村と万場町が合併して神流町となるようだ。
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